コリント人への第一の手紙

第一章

1かみ御旨みむねによりされてキリスト・イエスの使徒しととなったパウロと、兄弟きょうだいソステネから、 2コリントにあるかみ教会きょうかい、すなわち、わたしたちのしゅイエス・キリストの御名みないたところもとめているすべての人々ひとびとともに、キリスト・イエスにあってきよめられ、聖徒せいととしてされたかたがたへ。このキリストは、わたしたちのしゅであり、またかれらのしゅであられる。

3わたしたちのちちなるかみしゅイエス・キリストから、めぐみと平安へいあんとが、あなたがたにあるように。

4わたしは、あなたがたがキリスト・イエスにあってあたえられたかみめぐみをおもって、いつもかみ感謝かんしゃしている。 5あなたがたはキリストにあって、すべてのことに、すなわち、すべての言葉ことばにもすべての知識ちしきにもめぐまれ、 6キリストのためのあかしが、あなたがたのうちにたしかなものとされ、 7こうして、あなたがたはめぐみの賜物たまものにいささかもけることがなく、わたしたちのしゅイエス・キリストのあらわれるのをのぞんでいる。 8しゅもまた、あなたがたを最後さいごまでかたくささえて、わたしたちのしゅイエス・キリストのに、められるところのないものにしてくださるであろう。 9かみ真実しんじつなかたである。あなたがたはかみによってされ、御子みこ、わたしたちのしゅイエス・キリストとのまじわりに、はいらせていただいたのである。

10さて兄弟きょうだいたちよ。わたしたちのしゅイエス・キリストのによって、あなたがたにすすめる。みなかたることを一つにし、おたがいあいだ分争ぶんそうがないようにし、おなこころおなおもいになって、かたむすっていてほしい。 11わたしの兄弟きょうだいたちよ。じつは、クロエのいえものたちから、あなたがたのあいだあらそいがあるとかされている。 12はっきりうと、あなたがたがそれぞれ、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケパに」「わたしはキリストに」とっていることである。 13キリストは、いくつにもけられたのか。パウロは、あなたがたのために十字架じゅうじかにつけられたことがあるのか。それとも、あなたがたは、パウロのによってバプテスマをけたのか。 14わたしは感謝かんしゃしているが、クリスポとガイオ以外いがいには、あなたがたのうちのだれにも、バプテスマをさづけたことがない。 15それはあなたがたがわたしのによってバプテスマをけたのだと、だれにもわれることのないためである。 16もっとも、ステパナのいえものたちには、バプテスマをさづけたことがある。しかし、そのほかには、だれにもさづけたおぼえがない。 17いったい、キリストがわたしをつかわされたのは、バプテスマをさづけるためではなく、福音ふくいんつたえるためであり、しかも知恵ちえ言葉ことばもちいずにつたえるためであった。それは、キリストの十字架じゅうじか無力むりょくなものになってしまわないためなのである。

18十字架じゅうじかことばは、ほろものにはおろかであるが、すくいにあずかるわたしたちには、かみちからである。 19すなわち、聖書せいしょに、
「わたしは知者ちしゃ知恵ちえほろぼし、
かしこものかしこさをむなしいものにする」
いてある。 20知者ちしゃはどこにいるか。学者がくしゃはどこにいるか。この論者ろんしゃはどこにいるか。かみはこの知恵ちえを、おろかにされたではないか。 21このは、自分じぶん知恵ちえによってかみみとめるにいたらなかった。それは、かみ知恵ちえにかなっている。そこでかみは、宣教せんきょうおろかさによって、しんじるものすくうこととされたのである。 22ユダヤじんはしるしをい、ギリシヤじん知恵ちえもとめる。 23しかしわたしたちは、十字架じゅうじかにつけられたキリストをつたえる。このキリストは、ユダヤじんにはつまずかせるもの、異邦人いほうじんにはおろかなものであるが、 24されたもの自身じしんにとっては、ユダヤじんにもギリシヤじんにも、かみちからかみ知恵ちえたるキリストなのである。 25かみおろかさはひとよりもかしこく、かみよわさはひとよりもつよいからである。

26兄弟きょうだいたちよ。あなたがたがされたときのことをかんがえてみるがよい。人間にんげんてきには、知恵ちえのあるものおおくはなく、権力けんりょくのあるものおおくはなく、身分みぶんたかものおおくはいない。 27それだのにかみは、知者ちしゃをはずかしめるために、このおろかなものえらび、つよものをはずかしめるために、このよわものえらび、 28有力ゆうりょくもの無力むりょくものにするために、この身分みぶんひくものかろんじられているもの、すなわち、きにひとしいものを、あえてえらばれたのである。 29それは、どんな人間にんげんでも、かみのみまえにほこることがないためである。 30あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、かみによるのである。キリストはかみてられて、わたしたちの知恵ちえとなり、せいとあがないとになられたのである。 31それは、「ほこものしゅほこれ」といてあるとおりである。

第二章

1兄弟きょうだいたちよ。わたしもまた、あなたがたのところったとき、かみのあかしをつたえるのに、すぐれた言葉ことば知恵ちえもちいなかった。 2なぜなら、わたしはイエス・キリスト、しかも十字架じゅうじかにつけられたキリスト以外いがいのことは、あなたがたのあいだではなにるまいと、決心けっしんしたからである。 3わたしがあなたがたのところったときには、よわくかつおそれ、ひどく不安ふあんであった。 4そして、わたしの言葉ことばもわたしの宣教せんきょうも、たくみな知恵ちえ言葉ことばによらないで、れいちからとの証明しょうめいによったのである。 5それは、あなたがたの信仰しんこうひと知恵ちえによらないで、かみちからによるものとなるためであった。

6しかしわたしたちは、円熟えんじゅくしているものあいだでは、知恵ちえかたる。この知恵ちえは、このもの知恵ちえではなく、このほろ支配者しはいしゃたちの知恵ちえでもない。 7むしろ、わたしたちがかたるのは、かくされた奥義おくぎとしてのかみ知恵ちえである。それはかみが、わたしたちのける栄光えいこうのために、はじまらぬさきから、あらかじめさだめておかれたものである。 8この支配者しはいしゃたちのうちで、この知恵ちえっていたものは、ひとりもいなかった。もしっていたなら、栄光えいこうしゅ十字架じゅうじかにつけはしなかったであろう。 9しかし、聖書せいしょいてあるとおり、
がまだず、みみがまだかず、
ひとこころおもうかびもしなかったことを、
かみは、ご自分じぶんあいするものたちのためにそなえられた」
のである。 10そして、それをかみは、御霊みたまによってわたしたちに啓示けいじしてくださったのである。御霊みたまはすべてのものをきわめ、かみふかみまでもきわめるのだからである。 11いったい、人間にんげんおもいは、そのうちにある人間にんげんれい以外いがいに、だれがっていようか。それとおなじようにかみおもいも、かみ御霊みたま以外いがいには、るものはない。 12ところが、わたしたちがけたのは、このれいではなく、かみからのれいである。それによって、かみからたまわっためぐみをさとるためである。 13この賜物たまものについてかたるにも、わたしたちは人間にんげん知恵ちえおしえる言葉ことばもちいないで、御霊みたまおしえる言葉ことばもちい、れいによってれいのことを解釈かいしゃくするのである。 14うまれながらのひとは、かみ御霊みたま賜物たまものけいれない。それはかれにはおろかなものだからである。また、御霊みたまによって判断はんだんされるべきであるから、かれはそれを理解りかいすることができない。 15しかし、れいひとは、すべてのものを判断はんだんするが、自分じぶん自身じしんはだれからも判断はんだんされることはない。 16「だれがしゅおもいをって、かれおしえることができようか」。しかし、わたしたちはキリストのおもいをっている。

第三章

1兄弟きょうだいたちよ。わたしはあなたがたには、れいひとたいするようにはなすことができず、むしろ、にくぞくするもの、すなわち、キリストにあるおさはなすようにはなした。 2あなたがたにちちませて、かた食物しょくもつあたえなかった。べるちからが、まだあなたがたになかったからである。いまになってもそのちからがない。 3あなたがたはまだ、にくひとだからである。あなたがたのあいだに、ねたみやあらそいがあるのは、あなたがたがにくひとであって、普通ふつう人間にんげんのようにあるいているためではないか。 4すなわち、あるひとは「わたしはパウロに」とい、ほかのひとは「わたしはアポロに」とっているようでは、あなたがたは普通ふつう人間にんげんではないか。 5アポロは、いったい、何者なにものか。また、パウロは何者なにものか。あなたがたを信仰しんこうみちびいたひとにすぎない。しかもそれぞれ、しゅからあたえられたぶんおうじてつかえているのである。 6わたしはえ、アポロはみずをそそいだ。しかし成長せいちょうさせてくださるのは、かみである。 7だから、えるものみずをそそぐものも、ともにるにりない。大事だいじなのは、成長せいちょうさせてくださるかみのみである。 8えるものみずをそそぐものとは一つであって、それぞれそのはたらきにおうじて報酬ほうしゅうるであろう。 9わたしたちはかみ同労者どうろうしゃである。あなたがたはかみはたけであり、かみ建物たてものである。

10かみからたまわっためぐみによって、わたしは熟練じゅくれんした建築けんちくのように、土台どだいをすえた。そしてひとがそのうえいえてるのである。しかし、どういうふうにてるか、それぞれをつけるがよい。 11なぜなら、すでにすえられている土台どだい以外いがいのものをすえることは、だれにもできない。そして、この土台どだいはイエス・キリストである。 12この土台どだいうえに、だれかがきんぎん宝石ほうせきくさ、または、わらをもちいててるならば、 13それぞれの仕事しごとは、はっきりとわかってくる。すなわち、かのなかあらわれて、それをあきらかにし、またそのは、それぞれの仕事しごとがどんなものであるかを、ためすであろう。 14もしあるひとてた仕事しごとがそのまま残れば、そのひと報酬ほうしゅうけるが、 15その仕事しごとけてしまえば、損失そんしつこうむるであろう。しかしかれ自身じしんは、なかをくぐってきたもののようにではあるが、すくわれるであろう。

16あなたがたはかみみやであって、かみ御霊みたま自分じぶんのうちに宿やどっていることをらないのか。 17もしひとが、かみみや破壊はかいするなら、かみはそのひとほろぼすであろう。なぜなら、かみみやせいなるものであり、そして、あなたがたはそのみやなのだからである。

18だれも自分じぶんあざむいてはならない。もしあなたがたのうちに、自分じぶんがこの知者ちしゃだとおもひとがいるなら、そのひと知者ちしゃになるためにおろかになるがよい。 19なぜなら、この知恵ちえは、かみまえではおろかなものだからである。「かみは、知者ちしゃたちをその悪知恵わるぢえによってとらえる」といてあり、 20さらにまた、「しゅは、知者ちしゃたちの論議ろんぎのむなしいことをごぞんじである」といてある。 21だから、だれも人間にんげんほこってはいけない。すべては、あなたがたのものなのである。 22パウロも、アポロも、ケパも、世界せかいも、せいも、も、現在げんざいのものも、将来しょうらいのものも、ことごとく、あなたがたのものである。 23そして、あなたがたはキリストのもの、キリストはかみのものである。

第四章

1このようなわけだから、ひとはわたしたちを、キリストにつかえるものかみ奥義おくぎ管理かんりしているものるがよい。 2この場合ばあい管理者かんりしゃ要求ようきゅうされているのは、忠実ちゅうじつであることである。 3わたしはあなたがたにさばかれたり、人間にんげん裁判さいばんにかけられたりしても、なんらかいしない。いや、わたしは自分じぶんをさばくこともしない。 4わたしはみずかかえりみて、なんらやましいことはないが、それでとされているわけではない。わたしをさばくかたは、しゅである。 5だから、しゅがこられるまでは、何事なにごとについても、さきばしりをしてさばいてはいけない。しゅくらなかかくれていることをあかるみにし、こころなかくわだてられていることを、あらわにされるであろう。そのときには、かみからそれぞれほまれをけるであろう。

6兄弟きょうだいたちよ。これらのことをわたし自身じしんとアポロとにてはめてってかせたが、それはあなたがたが、わたしたちをれいにとって、「しるされているさだめをえない」ことをまなび、ひとりのひとをあがめ、ほかのひとさげてたかぶることのないためである。 7いったい、あなたをえらくしているのは、だれなのか。あなたのっているもので、もらっていないものがあるか。もしもらっているなら、なぜもらっていないもののようにほこるのか。

8あなたがたは、すでに満腹まんぷくしているのだ。すでにさかえているのだ。わたしたちをしおいて、おうになっているのだ。ああ、おうになっていてくれたらとおもう。そうであったなら、わたしたちも、あなたがたとともおうになれたであろう。 9わたしはこうかんがえる。かみはわたしたち使徒しと死刑囚しけいしゅうのように、最後さいご出場しゅつじょうするものとしてし、こうしてわたしたちは、ぜん世界せかいに、天使てんしにも人々ひとびとにもものにされたのだ。 10わたしたちはキリストのゆえにおろかなものとなり、あなたがたはキリストにあってかしこものとなっている。わたしたちはよわいが、あなたがたはつよい。あなたがたはたっとばれ、わたしたちはいやしめられている。 11いまいままで、わたしたちはえ、かわき、はだかにされ、たれ、宿やどなしであり、 12苦労くろうして自分じぶんはたらいている。はずかしめられては祝福しゅくふくし、迫害はくがいされてはしのび、 13ののしられてはやさしい言葉ことばをかけている。わたしたちはいまいたるまで、こののちりのように、人間にんげんのくずのようにされている。

14わたしがこのようなことをくのは、あなたがたをはずかしめるためではなく、むしろ、わたしの愛児あいじとしてさとすためである。 15たといあなたがたに、キリストにある養育掛よういくがかりが一万にんあったとしても、ちちおおくあるのではない。キリスト・イエスにあって、福音ふくいんによりあなたがたをんだのは、わたしなのである。 16そこで、あなたがたにすすめる。わたしにならうものとなりなさい。 17このことのために、わたしはしゅにあってあいする忠実ちゅうじつなわたしのテモテを、あなたがたのところにつかわした。かれは、キリスト・イエスにおけるわたしの生活せいかつのしかたを、わたしがいたところ教会きょうかいおしえているとおりに、あなたがたにおもおこさせてくれるであろう。 18しかしある人々ひとびとは、わたしがあなたがたのところることはあるまいとみて、たかぶっているということである。 19しかししゅのみこころであれば、わたしはすぐにでもあなたがたのところって、たかぶっているものたちの言葉ことばではなく、そのちからせてもらおう。 20かみくに言葉ことばではなく、ちからである。 21あなたがたは、どちらをのぞむのか。わたしがむちをもって、あなたがたのところくことか、それとも、あい柔和にゅうわこころとをもってくことであるか。

第五章

1げんくところによると、あなたがたのあいだ不品行ふひんこうものがあり、しかもその不品行ふひんこうは、異邦人いほうじんあいだにもないほどのもので、あるひとがそのちちつま一緒いっしょんでいるということである。 2それだのに、なお、あなたがたはたかぶっている。むしろ、そんなおこないをしているものが、あなたがたのなかからのぞかれねばならないことをおもって、かなしむべきではないか。 3しかし、わたし自身じしんとしては、からだははなれていても、れいでは一緒いっしょにいて、そのにいるもののように、そんなおこないをしたものを、すでにさばいてしまっている。 4すなわち、しゅイエスのによって、あなたがたもわたしのれいともに、わたしたちのしゅイエスの権威けんいのもとにあつまって、 5かれにくほろぼされても、そのれいしゅのさばきのすくわれるように、かれをサタンにわたしてしまったのである。 6あなたがたがほこっているのは、よろしくない。あなたがたは、すこしのパンだねこなのかたまり全体ぜんたいをふくらませることを、らないのか。 7あたらしいこなのかたまりになるために、ふるいパンだねのぞきなさい。あなたがたは、事実じじつパンだねのないものなのだから。わたしたちの過越すぎこし小羊こひつじであるキリストは、すでにほふられたのだ。 8ゆえに、わたしたちは、ふるいパンだねや、また悪意あくい邪悪じゃあくとのパンだねもちいずに、パンだねのはいっていない純粋じゅんすい真実しんじつなパンをもって、まつりをしようではないか。

9わたしはまえ手紙てがみで、不品行ふひんこうものたちと交際こうさいしてはいけないといたが、 10それは、この不品行ふひんこうもの貪欲どんよくもの略奪りゃくだつをするもの偶像ぐうぞう礼拝れいはいをするものなどと全然ぜんぜん交際こうさいしてはいけないと、ったのではない。もしそうだとしたら、あなたがたはこのからかねばならないことになる。 11しかし、わたしが実際じっさいいたのは、兄弟きょうだいばれるひとで、不品行ふひんこうもの貪欲どんよくもの偶像ぐうぞう礼拝れいはいをするものひとをそしるものさけもの略奪りゃくだつをするものがあれば、そんなひと交際こうさいをしてはいけない、食事しょくじともにしてもいけない、ということであった。 12そとひとたちをさばくのは、わたしのすることであろうか。あなたがたのさばくべきものは、うちひとたちではないか。そとひとたちは、かみがさばくのである。 13その悪人あくにんを、あなたがたのなかからのぞいてしまいなさい。

第六章

1あなたがたのなかのひとりが、仲間なかまものなにあらそいをおこした場合ばあい、それを聖徒せいとうったえないで、ただしくないものうったるようなことをするのか。 2それとも、聖徒せいとをさばくものであることを、あなたがたはらないのか。そして、があなたがたによってさばかれるべきであるのに、きわめてちいさい事件じけんでもさばくちからがないのか。 3あなたがたはらないのか、わたしたちは御使みつかいをさえさばくものである。ましてこの事件じけんなどは、いうまでもないではないか。 4それだのに、この事件じけんおこると、教会きょうかいかろんじられているひとたちを、裁判さいばんせきにつかせるのか。 5わたしがこううのは、あなたがたをはずかしめるためである。いったい、あなたがたのなかには、兄弟きょうだいあいだあらそいを仲裁ちゅうさいすることができるほどの知者ちしゃは、ひとりもいないのか。 6しかるに、兄弟きょうだい兄弟きょうだいうったえ、しかもそれを不信者ふしんじゃまえすのか。 7そもそも、たがいうったうこと自体じたいが、すでにあなたがたの敗北はいぼくなのだ。なぜ、むしろ不義ふぎけないのか。なぜ、むしろだまされていないのか。 8しかるに、あなたがたは不義ふぎはたらき、だましり、しかも兄弟きょうだいたいしてそうしているのである。 9それとも、ただしくないものかみくにをつぐことはないのを、らないのか。まちがってはいけない。不品行ふひんこうもの偶像ぐうぞう礼拝れいはいするもの姦淫かんいんをするもの男娼だんしょうとなるもの男色なんしょくをするものぬすもの 10貪欲どんよくものさけもの、そしるもの略奪りゃくだつするものは、いずれもかみくにをつぐことはないのである。 11あなたがたのなかには、以前いぜんはそんなひともいた。しかし、あなたがたは、しゅイエス・キリストのによって、またわたしたちのかみれいによって、あらわれ、きよめられ、とされたのである。

12すべてのことは、わたしにゆるされている。しかし、すべてのことがえきになるわけではない。すべてのことは、わたしにゆるされている。しかし、わたしはなにものにも支配しはいされることはない。 13食物しょくもつはらのため、はら食物しょくもつのためである。しかしかみは、それもこれもほろぼすであろう。からだは不品行ふひんこうのためではなく、しゅのためであり、しゅはからだのためである。 14そして、かみしゅをよみがえらせたが、そのちからで、わたしたちをもよみがえらせてくださるであろう。 15あなたがたは自分じぶんのからだがキリストの肢体したいであることを、らないのか。それだのに、キリストの肢体したいって遊女ゆうじょ肢体したいとしてよいのか。だんじていけない。 16それとも、遊女ゆうじょにつくものはそれと一つのからだになることを、らないのか。「ふたりのもの一体いったいとなるべきである」とあるからである。 17しかししゅにつくものは、しゅと一つのれいになるのである。 18不品行ふひんこうけなさい。ひとおかすすべてのつみは、からだのそとにある。しかし不品行ふひんこうをするものは、自分じぶんのからだにたいしてつみおかすのである。 19あなたがたはらないのか。自分じぶんのからだは、かみからけて自分じぶんうち宿やどっている聖霊せいれいみやであって、あなたがたは、もはや自分じぶん自身じしんのものではないのである。 20あなたがたは、代価だいかはらっていとられたのだ。それだから、自分じぶんのからだをもって、かみ栄光えいこうをあらわしなさい。

第七章

1さて、あなたがたがいてよこしたことについてこたえると、男子だんし婦人ふじんにふれないがよい。 2しかし、不品行ふひんこうおちいることのないために、男子だんしはそれぞれ自分じぶんつまち、婦人ふじんもそれぞれ自分じぶんおっとつがよい。 3おっとつまにそのぶんはたし、つま同様どうようおっとにそのぶんはたすべきである。 4つま自分じぶんのからだを自由じゆうにすることはできない。それができるのはおっとである。おっと同様どうよう自分じぶんのからだを自由じゆうにすることはできない。それができるのはつまである。 5たがいこばんではいけない。ただし、合意ごういうえいのり専心せんしんするために、しばらく相別あいわかれ、それからまた一緒いっしょになることは、さしつかえない。そうでないと、自制力じせいりょくのないのにじょうじて、サタンがあなたがたを誘惑ゆうわくするかもれない。 6以上いじょうのことは、譲歩じょうほのつもりでうのであって、命令めいれいするのではない。 7わたしとしては、みんなのものがわたし自身じしんのようになってほしい。しかし、ひとりびとりかみからそれぞれの賜物たまものをいただいていて、あるひとはこうしており、ひとはそうしている。

8つぎに、未婚者みこんしゃたちとやもめたちとにうが、わたしのように、ひとりでおれば、それがいちばんよい。 9しかし、もしせいすることができないなら、結婚けっこんするがよい。じょうえるよりは、結婚けっこんするほうが、よいからである。 10さらに、結婚けっこんしているものたちにめいじる。めいじるのは、わたしではなくしゅであるが、つまおっとからわかれてはいけない。 11(しかし、万一まんいちわかれているなら、結婚けっこんしないでいるか、それともおっと和解わかいするかしなさい)。またおっとつま離婚りこんしてはならない。 12そのほかの人々ひとびとう。これをうのは、しゅではなく、わたしである。ある兄弟きょうだい不信者ふしんじゃつまがあり、そしてともにいることをよろこんでいる場合ばあいには、離婚りこんしてはいけない。 13また、ある婦人ふじんおっと不信者ふしんじゃであり、そしてともにいることをよろこんでいる場合ばあいには、離婚りこんしてはいけない。 14なぜなら、不信者ふしんじゃおっとつまによってきよめられており、また、不信者ふしんじゃつまおっとによってきよめられているからである。もしそうでなければ、あなたがたのけがれていることになるが、実際じっさいはきよいではないか。 15しかし、もし不信者ふしんじゃほうはなれてくのなら、はなれるままにしておくがよい。兄弟きょうだい姉妹しまいも、こうした場合ばあいには、束縛そくばくされてはいない。かみは、あなたがたを平和へいわくらさせるために、されたのである。 16なぜなら、つまよ、あなたがおっとすくいうるかどうか、どうしてわかるか。また、おっとよ、あなたもつますくいうるかどうか、どうしてわかるか。

17ただ、各自かくじは、しゅからたまわったぶんおうじ、またかみされたままの状態じょうたいにしたがって、あゆむべきである。これが、すべての教会きょうかいたいしてわたしのめいじるところである。 18されたとき割礼かつれいけていたら、そのあとをなくそうとしないがよい。また、されたとき割礼かつれいけていなかったら、割礼かつれいけようとしないがよい。 19割礼かつれいがあってもなくても、それは問題もんだいではない。大事だいじなのは、ただかみいましめをまもることである。 20各自かくじは、されたままの状態じょうたいにとどまっているべきである。 21されたとき奴隷どれいであっても、それをにしないがよい。しかし、もし自由じゆうになりうるなら、むしろ自由じゆうになりなさい。 22しゅにあってされた奴隷どれいは、しゅによって自由人じゆうじんとされたものであり、また、された自由人じゆうじんはキリストの奴隷どれいなのである。 23あなたがたは、代価だいかはらっていとられたのだ。ひと奴隷どれいとなってはいけない。 24兄弟きょうだいたちよ。各自かくじは、そのされたままの状態じょうたいで、かみのみまえにいるべきである。

25おとめのことについては、わたしはしゅ命令めいれいけてはいないが、しゅのあわれみによりしんにんけているものとして、意見いけんべよう。 26わたしはこうかんがえる。現在げんざいせまっている危機ききのゆえに、ひと現状げんじょうにとどまっているがよい。 27もしつまむすばれているなら、こうとするな。つまむすばれていないなら、つまむかえようとするな。 28しかし、たとい結婚けっこんしても、つみおかすのではない。また、おとめが結婚けっこんしても、つみおかすのではない。ただ、それらの人々ひとびとはその苦難くなんけるであろう。わたしは、あなたがたを、それからのがれさせたいのだ。 29兄弟きょうだいたちよ。わたしのうことをいてほしい。ときちぢまっている。いまからはつまのあるものはないもののように、 30ものかないもののように、よろこものよろこばないもののように、ものたないもののように、 31交渉こうしょうのあるものは、それにふかりしないようにすべきである。なぜなら、この有様ありさまるからである。 32わたしはあなたがたが、おもわずらわないようにしていてほしい。未婚みこん男子だんししゅのことにこころをくばって、どうかしてしゅよろこばせようとするが、 33結婚けっこんしている男子だんしはこののことにこころをくばって、どうかしてつまよろこばせようとして、そのこころわかれるのである。 34未婚みこん婦人ふじんとおとめとは、しゅのことにこころをくばって、たましいもきよくなろうとするが、結婚けっこんした婦人ふじんはこののことにこころをくばって、どうかしておっとよろこばせようとする。 35わたしがこううのは、あなたがたの利益りえきになるとおもうからであって、あなたがたを束縛そくばくするためではない。そうではなく、ただしい生活せいかつおくって、余念よねんなくしゅ奉仕ほうしさせたいからである。

36もしあるひとが、相手あいてのおとめにたいして、じょうねつをいだくようになった場合ばあい、それは適当てきとうでないとおもいつつも、やむをなければ、のぞみどおりにしてもよい。それはつみおかすことではない。ふたりは結婚けっこんするがよい。 37しかし、かれこころうちかた決心けっしんしていて、無理むりをしないで自分じぶんおもいをせいすることができ、そのうえで、相手あいてのおとめをそのままにしておこうと、こころなかめたなら、そうしてもよい。 38だから、相手あいてのおとめと結婚けっこんすることはさしつかえないが、結婚けっこんしないほうがもっとよい。 39つまおっときているあいだは、そのおっとにつながれている。おっとねば、のぞひと結婚けっこんしてもさしつかえないが、それはしゅにあるものとにかぎる。 40しかし、わたしの意見いけんでは、そのままでいたなら、もっと幸福こうふくである。わたしもかみれいけているとおもう。

第八章

1偶像ぐうぞうへのそなものについてこたえると、「わたしたちはみな知識ちしきっている」ことは、わかっている。しかし、知識ちしきひとほこらせ、あいひととくたかめる。 2もしひとが、自分じぶんなにっているとおもうなら、そのひとは、らなければならないほどのことすら、まだっていない。 3しかし、ひとかみあいするなら、そのひとかみられているのである。 4さて、偶像ぐうぞうへのそなものべることについては、わたしたちは、偶像ぐうぞうなるものは実際じっさい存在そんざいしないこと、また、唯一ゆいいつかみのほかにはかみがないことを、っている。 5というのは、たとい神々かみがみといわれるものが、あるいはてんに、あるいはにあるとしても、そして、おおくのかみおおくのしゅがあるようではあるが、 6わたしたちには、ちちなる唯一ゆいいつかみのみがいますのである。万物ばんぶつはこのかみからて、わたしたちもこのかみする。また、唯一ゆいいつしゅイエス・キリストのみがいますのである。万物ばんぶつはこのしゅにより、わたしたちもこのしゅによっている。 7しかし、この知識ちしきをすべてのひとっているのではない。ある人々ひとびとは、偶像ぐうぞうについての、これまでの習慣上しゅうかんじょう偶像ぐうぞうへのそなものとして、それをべるが、かれらの良心りょうしんが、よわいためにけがされるのである。 8食物しょくもつは、わたしたちをかみみちびくものではない。べなくてもそんはないし、べてもえきにはならない。 9しかし、あなたがたのこの自由じゆうが、よわものたちのつまずきにならないように、をつけなさい。 10なぜなら、あるひとが、知識ちしきのあるあなたが偶像ぐうぞうみや食事しょくじをしているのを場合ばあい、そのひと良心りょうしんよわいため、それに「教育きょういくされて」、偶像ぐうぞうへのそなものべるようにならないだろうか。 11するとそのよわひとは、あなたの知識ちしきによってほろびることになる。このよわ兄弟きょうだいのためにも、キリストはなれたのである。 12このようにあなたがたが、兄弟きょうだいたちにたいしてつみおかし、そのよわ良心りょうしんいためるのは、キリストにたいしてつみおかすことなのである。 13だから、もし食物しょくもつがわたしの兄弟きょうだいをつまずかせるなら、兄弟きょうだいをつまずかせないために、わたしは永久えいきゅうに、だんじてにくべることはしない。

第九章

1わたしは自由じゆうものではないか。使徒しとではないか。わたしたちのしゅイエスをたではないか。あなたがたは、しゅにあるわたしのはたらきのではないか。 2わたしは、ほかのひとたいしては使徒しとでないとしても、あなたがたには使徒しとである。あなたがたがしゅにあることは、わたしの使徒しとしょくしるしなのである。 3わたしの批判者ひはんしゃたちにたいする弁明べんめいは、これである。 4わたしたちには、いをする権利けんりがないのか。 5わたしたちには、ほかの使徒しとたちやしゅ兄弟きょうだいたちやケパのように、信者しんじゃであるつまれてある権利けんりがないのか。 6それとも、わたしとバルナバとだけには、労働ろうどうをせずにいる権利けんりがないのか。 7いったい、自分じぶん費用ひようして軍隊ぐんたいくわわるものがあろうか。ぶどうはたけつくっていて、そのべないものがあろうか。また、ひつじっていて、そのちちまないものがあろうか。 8わたしは、人間にんげんかんがえでこううのではない。律法りっぽうもまた、そのようにっているではないか。 9すなわち、モーセの律法りっぽうに、「穀物こくもつをこなしているうしに、くつこをかけてはならない」といてある。かみは、うしのことをこころにかけておられるのだろうか。 10それとも、もっぱら、わたしたちのためにっておられるのか。もちろん、それはわたしたちのためにしるされたのである。すなわち、たがやもののぞみをもってたがやし、穀物こくもつをこなすものは、そのまえをもらうのぞみをもってこなすのである。 11もしわたしたちが、あなたがたのためにれいのものをまいたのなら、にくのものをあなたがたからりとるのは、ぎだろうか。 12もしほかの人々ひとびとが、あなたがたにたいするこの権利けんりにあずかっているとすれば、わたしたちはなおさらのことではないか。しかしわたしたちは、この権利けんりようせず、かえってキリストの福音ふくいんさまたげにならないようにと、すべてのことをしのんでいる。 13あなたがたは、宮仕みやづかえをしているひとたちはみやからがるものべ、祭壇さいだん奉仕ほうししているひとたちは祭壇さいだんそなものまえにあずかることを、らないのか。 14それと同様どうように、しゅは、福音ふくいんつたえているものたちが福音ふくいんによって生活せいかつすべきことを、さだめられたのである。

15しかしわたしは、これらの権利けんりを一つもようしなかった。また、自分じぶんがそうしてもらいたいから、このようにくのではない。そうされるよりは、ほうがましである。わたしのこのほこりは、何者なにものにもうばられてはならないのだ。 16わたしが福音ふくいんつたえても、それはほこりにはならない。なぜなら、わたしは、そうせずにはおれないからである。もし福音ふくいんつたえないなら、わたしはわざわいである。 17すすんでそれをすれば、報酬ほうしゅうけるであろう。しかし、すすんでしないとしても、それは、わたしにゆだねられたつとめなのである。 18それでは、その報酬ほうしゅうはなんであるか。福音ふくいんつたえるのにそれを代価だいか提供ていきょうし、わたしが宣教者せんきょうしゃとして権利けんりようしないことである。

19わたしは、すべてのひとたいして自由じゆうであるが、できるだけおおくのひとるために、みずかすすんですべてのひと奴隷どれいになった。 20ユダヤじんには、ユダヤじんのようになった。ユダヤじんるためである。律法りっぽうもとにあるひとには、わたし自身じしん律法りっぽうもとにはないが、律法りっぽうもとにあるもののようになった。律法りっぽうもとにあるひとるためである。 21律法りっぽうのないひとには――わたしはかみ律法りっぽうそとにあるのではなく、キリストの律法りっぽうなかにあるのだが――律法りっぽうのないひとのようになった。律法りっぽうのないひとるためである。 22よわひとにはよわものになった。よわひとるためである。すべてのひとたいしては、すべてのひとのようになった。なんとかして幾人いくにんかをすくうためである。 23福音ふくいんのために、わたしはどんなことでもする。わたしもとも福音ふくいんにあずかるためである。

24あなたがたはらないのか。競技場きょうぎじょうはしものは、みなはしりはするが、しょうものはひとりだけである。あなたがたも、しょうるようにはしりなさい。 25しかし、すべて競技きょうぎをするものは、なにごとにも節制せっせいをする。かれらはちるかんむりるためにそうするが、わたしたちはちないかんむりるためにそうするのである。 26そこで、わたしは目標もくひょうのはっきりしないようなはしかたをせず、くうつような拳闘けんとうはしない。 27すなわち、自分じぶんのからだをちたたいて服従ふくじゅうさせるのである。そうしないと、ほかのひとつたえておきながら、自分じぶん失格者しっかくしゃになるかもれない。

第一〇章

1兄弟きょうだいたちよ。このことをらずにいてもらいたくない。わたしたちの先祖せんぞはみなくもしたにおり、みなうみとおり、 2みなくもなかうみなかで、モーセにつくバプテスマをけた。 3また、みなおなれい食物しょくもつべ、 4みなおなれいものんだ。すなわち、かれらについてきたれいいわからんだのであるが、このいわはキリストにほかならない。 5しかし、かれらのなか大多数だいたすうは、かみのみこころにかなわなかったので、荒野あらのほろぼされてしまった。

6これらの出来事できごとは、わたしたちにたいする警告けいこくであって、かれらがあくをむさぼったように、わたしたちもあくをむさぼることのないためなのである。 7だから、かれらのなかのあるものたちのように、偶像ぐうぞう礼拝者れいはいしゃになってはならない。すなわち、「たみしていをし、またっておどたわむれた」といてある。 8また、あるものたちがしたように、わたしたちは不品行ふひんこうをしてはならない。不品行ふひんこうをしたためたおされたものが、一にちに二万三千にんもあった。 9また、あるものたちがしたように、わたしたちはしゅこころみてはならない。しゅこころみたものは、へびにころされた。 10また、あるものたちがつぶやいたように、つぶやいてはならない。つぶやいたものは、「使つかい」にほろぼされた。 11これらのことかれらにおこったのは、ほかたいする警告けいこくとしてであって、それがかれたのは、おわりにのぞんでいるわたしたちにたいする訓戒くんかいのためである。 12だから、っているとおもものは、たおれないようにをつけるがよい。 13あなたがたのった試錬しれんで、つねでないものはない。かみ真実しんじつである。あなたがたをえられないような試錬しれんわせることはないばかりか、試錬しれん同時どうじに、それにえられるように、のがれるみちそなえてくださるのである。

14それだから、あいするものたちよ。偶像ぐうぞう礼拝れいはいけなさい。 15賢明けんめいなあなたがたにうったえる。わたしのうことを、みずか判断はんだんしてみるがよい。 16わたしたちが祝福しゅくふくする祝福しゅくふくさかずき、それはキリストのにあずかることではないか。わたしたちがさくパン、それはキリストのからだにあずかることではないか。 17パンが一つであるから、わたしたちはおおくいても、一つのからだなのである。みんなのものが一つのパンをともにいただくからである。 18にくによるイスラエルをるがよい。そなものべるひとたちは、祭壇さいだんにあずかるのではないか。 19すると、なんとったらよいか。偶像ぐうぞうにささげるそなものは、なに意味いみがあるのか。また、偶像ぐうぞうなにかほんとうにあるものか。 20そうではない。人々ひとびとそなえるものは、悪霊あくれいども、すなわち、かみならぬものそなえるのである。わたしは、あなたがたが悪霊あくれい仲間なかまになることをのぞまない。 21しゅさかずき悪霊あくれいどものさかずきとを、同時どうじむことはできない。しゅ食卓しょくたく悪霊あくれいどもの食卓しょくたくとに、同時どうじにあずかることはできない。 22それとも、わたしたちはしゅのねたみをおこしそうとするのか。わたしたちは、しゅよりもつよいのだろうか。

23すべてのことはゆるされている。しかし、すべてのことがえきになるわけではない。すべてのことはゆるされている。しかし、すべてのことがひととくたかめるのではない。 24だれでも、自分じぶんえきもとめないで、ほかのひとえきもとめるべきである。 25すべて市場いちばられているものは、いちいち良心りょうしんうことをしないで、べるがよい。 26とそれにちているものとは、しゅのものだからである。 27もしあなたがたが、不信者ふしんじゃのだれかにまねかれて、そこにこうとおも場合ばあい自分じぶんまえされるものはなんでも、いちいち良心りょうしんうことをしないで、べるがよい。 28しかし、だれかがあなたがたに、これはささげものにくだとったなら、それをらせてくれたひとのために、また良心りょうしんのために、べないがよい。 29良心りょうしんったのは、自分じぶん良心りょうしんではなく、他人たにん良心りょうしんのことである。なぜなら、わたしの自由じゆうが、どうして他人たにん良心りょうしんによって左右さゆうされることがあろうか。 30もしわたしが感謝かんしゃしてべる場合ばあい、その感謝かんしゃするものについて、どうしてひとのそしりをけるわけがあろうか。 31だから、むにもべるにも、また何事なにごとをするにも、すべてかみ栄光えいこうのためにすべきである。 32ユダヤじんにもギリシヤじんにもかみ教会きょうかいにも、つまずきになってはいけない。 33わたしもまた、何事なにごとにもすべてのひとよろこばれるようにつとめ、おおくのひとすくわれるために、自分じぶんえきではなくかれらのえきもとめている。

第一一章

1わたしがキリストにならうものであるように、あなたがたもわたしにならうものになりなさい。

2あなたがたが、なにかにつけわたしをおぼえていて、あなたがたにつたえたとおりに言伝いいつたえをまもっているので、わたしは満足まんぞくおもう。 3しかし、あなたがたにっていてもらいたい。すべてのおとこのかしらはキリストであり、おんなのかしらはおとこであり、キリストのかしらはかみである。 4いのりをしたり預言よげんをしたりするとき、かしらにものをかぶるおとこは、そのかしらをはずかしめるものである。 5いのりをしたり預言よげんをしたりするとき、かしらにおおいをかけないおんなは、そのかしらをはずかしめるものである。それは、かみをそったのとまったくおなじだからである。 6もしおんながおおいをかけないなら、かみってしまうがよい。かみったりそったりするのが、おんなにとってずべきことであるなら、おおいをかけるべきである。 7おとこは、かみのかたちであり栄光えいこうであるから、かしらにものをかぶるべきではない。おんなは、またおとこ光栄こうえいである。 8なぜなら、おとこおんなからたのではなく、おんなおとこからたのだからである。 9また、おとこおんなのためにつくられたのではなく、おんなおとこのためにつくられたのである。 10それだから、おんなは、かしらに権威けんいのしるしをかぶるべきである。それは天使てんしたちのためでもある。 11ただ、しゅにあっては、おとこなしにはおんなはないし、おんななしにはおとこはない。 12それは、おんなおとこからたように、おとこもまたおんなからうまれたからである。そして、すべてのものはかみからたのである。 13あなたがた自身じしん判断はんだんしてみるがよい。おんながおおいをかけずにかみいのるのは、ふさわしいことだろうか。 14自然しぜんそのものがおしえているではないか。おとこながかみがあればかれはじになり、 15おんなながかみがあれば彼女かのじょ光栄こうえいになるのである。ながかみはおおいのかわりにおんなあたえられているものだからである。 16しかし、だれかがそれに反対はんたい意見いけんっていても、そんな風習ふうしゅうはわたしたちにはなく、かみしょ教会きょうかいにもない。

17ところで、つぎのことをめいじるについては、あなたがたをほめるわけにはいかない。というのは、あなたがたのあつまりが利益りえきにならないで、かえって損失そんしつになっているからである。 18まず、あなたがたが教会きょうかいあつまるとき、おたがいあいだ分争ぶんそうがあることを、わたしはみみにしており、そしていくぶんか、それをしんじている。 19たしかに、あなたがたのなかでほんとうのものあきらかにされるためには、分派ぶんぱもなければなるまい。 20そこで、あなたがたが一緒いっしょあつまるとき、しゅ晩餐ばんさんまもることができないでいる。 21というのは、食事しょくじさい各自かくじ自分じぶん晩餐ばんさんをかってにさきべるので、えているひとがあるかとおもえば、っているひとがある始末しまつである。 22あなたがたには、いをするいえがないのか。それとも、かみ教会きょうかいかろんじ、まずしい人々ひとびとをはずかしめるのか。わたしはあなたがたにたいして、なんとおうか。あなたがたを、ほめようか。このことでは、ほめるわけにはいかない。 23わたしは、しゅからけたことを、また、あなたがたにつたえたのである。すなわち、しゅイエスは、わたされる、パンをとり、 24感謝かんしゃしてこれをさき、そしてわれた、「これはあなたがたのための、わたしのからだである。わたしを記念きねんするため、このようにおこないなさい」。 25食事しょくじののち、さかずきをもおなじようにしてわれた、「このさかずきは、わたしのによるあたらしい契約けいやくである。むたびに、わたしの記念きねんとして、このようにおこないなさい」。 26だから、あなたがたは、このパンをしょくし、このさかずきむごとに、それによって、しゅがこられるときいたるまで、しゅらせるのである。 27だから、ふさわしくないままでパンをしょくしゅさかずきものは、しゅのからだととをおかすのである。 28だれでもまず自分じぶん吟味ぎんみし、それからパンをさかずきむべきである。 29しゅのからだをわきまえないでいするものは、そのいによって自分じぶんにさばきをまねくからである。 30あなたがたのなかに、よわもの病人びょうにんおおぜいおり、またねむったものすくなくないのは、そのためである。 31しかし、自分じぶんをよくわきまえておくならば、わたしたちはさばかれることはないであろう。 32しかし、さばかれるとすれば、それは、このともつみさだめられないために、しゅらしめをけることなのである。 33それだから、兄弟きょうだいたちよ。食事しょくじのためにあつまるときには、たがいわせなさい。 34もし空腹くうふくであったら、さばきをけにあつまることにならないため、いえべるがよい。そのほかのことは、わたしがったときに、さだめることにしよう。

第一二章

1兄弟きょうだいたちよ。れい賜物たまものについては、つぎのことをらずにいてもらいたくない。 2あなたがたがまだ異邦人いほうじんであったときさそわれるまま、ものえない偶像ぐうぞうのところにかれてったことは、あなたがたの承知しょうちしているとおりである。 3そこで、あなたがたにっておくが、かみれいによってかたものはだれも「イエスはのろわれよ」とはわないし、また、聖霊せいれいによらなければ、だれも「イエスはしゅである」とうことができない。

4れい賜物たまもの種々しゅじゅあるが、御霊みたまおなじである。 5つとめ種々しゅじゅあるが、しゅおなじである。 6はたらきは種々しゅじゅあるが、すべてのもののなかはたらいてすべてのことをなさるかみは、おなじである。 7各自かくじ御霊みたまあらわれをたまわっているのは、全体ぜんたいえきになるためである。 8すなわち、あるひとには御霊みたまによって知恵ちえ言葉ことばあたえられ、ほかのひとには、おな御霊みたまによって知識ちしきことば 9またほかのひとには、おな御霊みたまによって信仰しんこう、またほかのひとには、一つの御霊みたまによっていやしの賜物たまもの 10またほかのひとにはちからあるわざ、またほかのひとには預言よげん、またほかのひとにはれいわけるちから、またほかのひとには種々しゅじゅ異言いげん、またほかのひとには異言いげんちからが、あたえられている。 11すべてこれらのものは、一つのおな御霊みたまはたらきであって、御霊みたまおもいのままに、それらを各自かくじあたえられるのである。

12からだが一つであっても肢体したいおおくあり、また、からだのすべての肢体したいおおくあっても、からだは一つであるように、キリストの場合ばあい同様どうようである。 13なぜなら、わたしたちはみな、ユダヤじんもギリシヤじんも、奴隷どれい自由人じゆうじんも、一つの御霊みたまによって、一つのからだとなるようにバプテスマをけ、そしてみな一つの御霊みたまんだからである。 14実際じっさい、からだは一つの肢体したいだけではなく、おおくのものからできている。 15もしあしが、わたしはではないから、からだにぞくしていないとっても、それで、からだにぞくさないわけではない。 16また、もしみみが、わたしはではないから、からだにぞくしていないとっても、それで、からだにぞくさないわけではない。 17もしからだ全体ぜんたいだとすれば、どこでくのか。もし、からだ全体ぜんたいみみだとすれば、どこでかぐのか。 18そこでかみ御旨みむねのままに、肢体したいをそれぞれ、からだにそなえられたのである。 19もし、すべてのものが一つの肢体したいなら、どこにからだがあるのか。 20ところが実際じっさい肢体したいおおくあるが、からだは一つなのである。 21にむかって、「おまえはいらない」とはえず、またあたまあしにむかって、「おまえはいらない」ともえない。 22そうではなく、むしろ、からだのうちでほかよりもよわえる肢体したいが、かえって必要ひつようなのであり、 23からだのうちで、ほかよりもおとりがするとおもえるところに、ものをせていっそうよくする。うるわしくない部分ぶぶんはいっそううるわしくするが、 24うるわしい部分ぶぶんはそうする必要ひつようがない。かみおとっている部分ぶぶんをいっそうよくして、からだに調和ちょうわをおあたえになったのである。 25それは、からだのなか分裂ぶんれつがなく、それぞれの肢体したいたがいにいたわりうためなのである。 26もし一つの肢体したいなやめば、ほかの肢体したいもみなともなやみ、一つの肢体したいたっとばれると、ほかの肢体したいもみなともよろこぶ。 27あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体したいである。 28そして、かみ教会きょうかいなかで、人々ひとびとてて、だい一に使徒しとだい二に預言者よげんしゃだい三に教師きょうしとし、つぎちからあるわざをおこなものつぎにいやしの賜物たまものもの、また補助者ほじょしゃ管理者かんりしゃ種々しゅじゅ異言いげんかたものをおかれた。 29みんなが使徒しとだろうか。みんなが預言者よげんしゃだろうか。みんなが教師きょうしだろうか。みんながちからあるわざをおこなものだろうか。 30みんながいやしの賜物たまものっているのだろうか。みんなが異言いげんかたるのだろうか。みんなが異言いげんくのだろうか。 31だが、あなたがたは、さらおおいなる賜物たまものようと熱心ねっしんつとめなさい。そこで、わたしはもっともすぐれたみちをあなたがたにしめそう。

第一三章

1たといわたしが、人々ひとびと言葉ことば御使みつかいたちの言葉ことばかたっても、もしあいがなければ、わたしは、やかましいかねさわがしい鐃鉢にょうはちおなじである。 2たといまた、わたしに預言よげんをするちからがあり、あらゆる奥義おくぎとあらゆる知識ちしきとにつうじていても、また、やまうつすほどのつよ信仰しんこうがあっても、もしあいがなければ、わたしはひとしい。 3たといまた、わたしが自分じぶんぜん財産ざいさんひとほどこしても、また、自分じぶんのからだをかれるためにわたしても、もしあいがなければ、いっさいは無益むえきである。

4あい寛容かんようであり、あい情深なさけぶかい。また、ねたむことをしない。あいたかぶらない、ほこらない、 5不作法ぶさほうをしない、自分じぶん利益りえきもとめない、いらだたない、うらみをいだかない。 6不義ふぎよろこばないで真理しんりよろこぶ。 7そして、すべてをしのび、すべてをしんじ、すべてをのぞみ、すべてをえる。

8あいはいつまでもえることがない。しかし、預言よげんはすたれ、異言いげんはやみ、知識ちしきはすたれるであろう。 9なぜなら、わたしたちのるところは一部分ぶぶんであり、預言よげんするところも一部分ぶぶんにすぎない。 10まったきものがときには、部分ぶぶんてきなものはすたれる。 11わたしたちがおさであったときには、おさらしくかたり、おさらしくかんじ、また、おさらしくかんがえていた。しかし、おとなとなったいまは、おさらしいことをててしまった。 12わたしたちは、いまは、かがみうつしてるようにおぼろげにている。しかしそのときには、かおかおとをわせて、るであろう。わたしのるところは、いまは一部分ぶぶんにすぎない。しかしそのときには、わたしが完全かんぜんられているように、完全かんぜんるであろう。 13このように、いつまでも存続そんぞくするものは、信仰しんこう希望きぼうあいと、この三つである。このうちでもっとおおいなるものは、あいである。

第一四章

1あいもとめなさい。また、れい賜物たまものを、ことに預言よげんすることを、熱心ねっしんもとめなさい。 2異言いげんかたものは、ひとにむかってかたるのではなく、かみにむかってかたるのである。それはだれにもわからない。かれはただ、れいによって奥義おくぎかたっているだけである。 3しかし預言よげんをするものは、ひとかたってそのとくたかめ、かれはげまし、なぐさめるのである。 4異言いげんかたもの自分じぶんだけのとくたかめるが、預言よげんをするもの教会きょうかいとくたかめる。 5わたしは実際じっさい、あなたがたがひとりのこらず異言いげんかたることをのぞむが、とく預言よげんをしてもらいたい。教会きょうかいとくたかめるように異言いげんかないかぎり、異言いげんかたものよりも、預言よげんをするものほうがまさっている。

6だから、兄弟きょうだいたちよ。たといわたしがあなたがたのところって異言いげんかたるとしても、啓示けいじ知識ちしき預言よげんおしえかをかたらなければ、あなたがたに、なんのやくつだろうか。 7また、ふえ立琴たてごとのような楽器がっきでも、もしそのおと変化へんかがなければ、なにいているのか、いているのか、どうしてることができようか。 8また、もしラッパがはっきりしたおとさないなら、だれが戦闘せんとう準備じゅんびをするだろうか。 9それと同様どうように、もしあなたがたが異言いげんではっきりしない言葉ことばかたれば、どうしてそのかたることがわかるだろうか。それでは、くうにむかってかたっていることになる。 10には多種たしゅ多様たよう言葉ことばがあるだろうが、意味いみのないものは一つもない。 11もしその言葉ことば意味いみがわからないなら、かたっているひとにとっては、わたしは異国人いこくじんであり、かたっているひとも、わたしにとっては異国人いこくじんである。 12だから、あなたがたも、れい賜物たまもの熱心ねっしんもとめている以上いじょうは、教会きょうかいとくたかめるために、それをゆたかにいただくようにはげむがよい。

13このようなわけであるから、異言いげんかたものは、自分じぶんでそれをくことができるようにいのりなさい。 14もしわたしが異言いげんをもっていのるなら、わたしのれいいのるが、知性ちせいむすばないからである。 15すると、どうしたらよいのか。わたしはれいいのるとともに、知性ちせいでもいのりろう。れいでさんびをうたうとともに、知性ちせいでもうたおう。 16そうでないと、もしあなたがれい祝福しゅくふく言葉ことばとなえても、初心者しょしんじゃせきにいるものは、あなたの感謝かんしゃたいして、どうしてアァメンとえようか。あなたがなにっているのか、かれにはつうじない。 17感謝かんしゃするのは結構けっこうだが、それで、ほかのひととくたかめることにはならない。 18わたしは、あなたがたのうちのだれよりもおお異言いげんかたれることを、かみ感謝かんしゃする。 19しかし教会きょうかいでは、一万の言葉ことば異言いげんかたるよりも、ほかのひとたちをもおしえるために、むしろ五つの言葉ことば知性ちせいによってかたほうねがわしい。

20兄弟きょうだいたちよ。ものかんがえかたでは、子供こどもとなってはいけない。悪事あくじについてはおさとなるのはよいが、かんがえかたでは、おとなとなりなさい。 21律法りっぽうにこういてある、「わたしは、異国いこくした異国いこくのくちびるとで、このたみかたるが、それでも、かれらはわたしにみみかたむけない、としゅおおせになる」。 22このように、異言いげん信者しんじゃのためではなく未信者みしんじゃのためのしるしであるが、預言よげん未信者みしんじゃのためではなく信者しんじゃのためのしるしである。 23もしぜん教会きょうかい一緒いっしょあつまって、全員ぜんいん異言いげんかたっているところに、初心者しょしんじゃ不信者ふしんじゃかがはいってきたら、かれらはあなたがたを気違きちがいだとうだろう。 24しかし、全員ぜんいん預言よげんをしているところに、不信者ふしんじゃ初心者しょしんじゃがはいってきたら、かれ良心りょうしんはみんなのものめられ、みんなのものにさばかれ、 25そのこころ秘密ひみつがあばかれ、その結果けっか、ひれしてかみおがみ、「まことに、かみがあなたがたのうちにいます」と告白こくはくするにいたるであろう。

26すると、兄弟きょうだいたちよ。どうしたらよいのか。あなたがたが一緒いっしょあつまるとき各自かくじはさんびをうたい、おしえをなし、啓示けいじげ、異言いげんかたり、それをくのであるが、すべてはとくたかめるためにすべきである。 27もし異言いげんかたものがあれば、ふたりか、おおくて三にんものが、順々じゅんじゅんかたり、そして、ひとりがそれをくべきである。 28もしものがいないときには、教会きょうかいではだまっていて、自分じぶんたいしまたかみたいしてかたっているべきである。 29預言よげんをするもの場合ばあいにも、ふたりか三にんかがかたり、ほかのものはそれを吟味ぎんみすべきである。 30しかし、せきにいるもの啓示けいじけた場合ばあいには、はじめのものだまるがよい。 31あなたがたは、みんながまなびみんながすすめをけるために、ひとりずつのこらず預言よげんをすることができるのだから。 32かつ、預言者よげんしゃれい預言者よげんしゃ服従ふくじゅうするものである。 33かみ秩序ちつじょかみではなく、平和へいわかみである。

聖徒せいとたちのすべての教会きょうかいおこなわれているように、 34婦人ふじんたちは教会きょうかいではだまっていなければならない。かれらはかたることがゆるされていない。だから、律法りっぽうめいじているように、服従ふくじゅうすべきである。 35もしなにまなびたいことがあれば、いえ自分じぶんおっとたずねるがよい。教会きょうかいかたるのは、婦人ふじんにとってはずべきことである。 36それとも、かみことばはあなたがたのところからたのか。あるいは、あなたがただけにきたのか。

37もしあるひとが、自分じぶん預言者よげんしゃれいひとであるとおもっているなら、わたしがあなたがたにいていることは、しゅ命令めいれいだとみとめるべきである。 38もしそれを無視むしするものがあれば、そのひともまた無視むしされる。

39わたしの兄弟きょうだいたちよ。このようなわけだから、預言よげんすることを熱心ねっしんもとめなさい。また、異言いげんかたることをさまたげてはならない。 40しかし、すべてのことを適宜てきぎに、かつ秩序ちつじょただしておこなうがよい。

第一五章

1兄弟きょうだいたちよ。わたしが以前いぜんあなたがたにつたえた福音ふくいん、あなたがたがけいれ、それによってってきたあの福音ふくいんを、おもおこしてもらいたい。 2もしあなたがたが、いたずらにしんじないで、わたしのつたえたとおりの言葉ことばかたまもっておれば、この福音ふくいんによってすくわれるのである。 3わたしがもっと大事だいじなこととしてあなたがたにつたえたのは、わたし自身じしんけたことであった。すなわちキリストが、聖書せいしょいてあるとおり、わたしたちのつみのためにんだこと、 4そしてほうむられたこと、聖書せいしょいてあるとおり、三によみがえったこと、 5ケパにあらわれ、つぎに、十二にんあらわれたことである。 6そののち、五百にん以上いじょう兄弟きょうだいたちに、同時どうじあらわれた。そのなかにはすでにねむったものたちもいるが、大多数だいたすうはいまなお生存せいぞんしている。 7そののち、ヤコブにあらわれ、つぎに、すべての使徒しとたちにあらわれ、 8そして最後さいごに、いわば、つきらずにうまれたようなわたしにも、あらわれたのである。 9実際じっさいわたしは、かみ教会きょうかい迫害はくがいしたのであるから、使徒しとたちのなかでいちばんちいさいものであって、使徒しとばれるうちのないものである。 10しかし、かみめぐみによって、わたしは今日こんにちあるをているのである。そして、わたしにたまわったかみめぐみはむだにならず、むしろ、わたしはかれらのなかのだれよりもおおはたらいてきた。しかしそれは、わたし自身じしんではなく、わたしとともにあったかみめぐみである。 11とにかく、わたしにせよかれらにせよ、そのように、わたしたちはつたえており、そのように、あなたがたはしんじたのである。

12さて、キリストは死人しにんなかからよみがえったのだとつたえられているのに、あなたがたのなかのあるものが、死人しにん復活ふっかつなどはないとっているのは、どうしたことか。 13もし死人しにん復活ふっかつがないならば、キリストもよみがえらなかったであろう。 14もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教せんきょうはむなしく、あなたがたの信仰しんこうもまたむなしい。 15すると、わたしたちはかみにそむく偽証人ぎしょうにんにさえなるわけだ。なぜなら、万一まんいち死人しにんがよみがえらないとしたら、わたしたちはかみ実際じっさいよみがえらせなかったはずのキリストを、よみがえらせたとって、かみはんするあかしをてたことになるからである。 16もし死人しにんがよみがえらないなら、キリストもよみがえらなかったであろう。 17もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰しんこう空虚くうきょなものとなり、あなたがたは、いまなおつみなかにいることになろう。 18そうだとすると、キリストにあってねむったものたちは、ほろんでしまったのである。 19もしわたしたちが、この生活せいかつでキリストにあってたんなるのぞみをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべてのひとなかもっともあわれむべき存在そんざいとなる。

20しかし事実じじつ、キリストはねむっているもの初穂はつほとして、死人しにんなかからよみがえったのである。 21それは、がひとりのひとによってきたのだから、死人しにん復活ふっかつもまた、ひとりのひとによってこなければならない。 22アダムにあってすべてのひとんでいるのとおなじように、キリストにあってすべてのひとかされるのである。 23ただ、各自かくじはそれぞれの順序じゅんじょしたがわねばならない。最初さいしょはキリスト、つぎに、しゅ来臨らいりんさいしてキリストにぞくするものたち、 24それから終末しゅうまつとなって、そのときに、キリストはすべてのきみたち、すべての権威けんい権力けんりょくとをほろぼして、くにちちなるかみわたされるのである。 25なぜなら、キリストはあらゆるてきをそのあしもとにときまでは、支配しはいつづけることになっているからである。 26最後さいごてきとしてほろぼされるのが、である。 27かみ万物ばんぶつかれあしもとにしたがわせた」からである。ところが、万物ばんぶつしたがわせたとわれるとき万物ばんぶつしたがわせたかたがそれにふくまれていないことは、あきらかである。 28そして、万物ばんぶつかみしたがときには、御子みこ自身じしんもまた、万物ばんぶつしたがわせたそのかたにしたがうであろう。それは、かみがすべてのものにあって、すべてとなられるためである。

29そうでないとすれば、死者ししゃのためにバプテスマをける人々ひとびとは、なぜそれをするのだろうか。もし死者ししゃまったくよみがえらないとすれば、なぜ人々ひとびと死者ししゃのためにバプテスマをけるのか。 30また、なんのために、わたしたちはいつも危険きけんおかしているのか。 31兄弟きょうだいたちよ。わたしたちのしゅキリスト・イエスにあって、わたしがあなたがたにつきっているほこりにかけてうが、わたしは日々ひびんでいるのである。 32もし、わたしが人間にんげんかんがえによってエペソでけものたたかったとすれば、それはなんのやくつのか。もし死人しにんがよみがえらないのなら、「わたしたちはいしようではないか。あすもわからぬいのちなのだ」。 33まちがってはいけない。
わるまじわりは、いならわしをそこなう」。
34ざめてただし、つみおかさないようにしなさい。あなたがたのうちには、かみについて無知むち人々ひとびとがいる。あなたがたをはずかしめるために、わたしはこううのだ。

35しかし、あるひとうだろう。「どんなふうにして、死人しにんがよみがえるのか。どんなからだをしてるのか」。 36おろかなひとである。あなたのまくものは、ななければ、かされないではないか。 37また、あなたのまくのは、やがてるべきからだをまくのではない。むぎであっても、ほかのたねであっても、ただのたねつぶにすぎない。 38ところが、かみはみこころのままに、これにからだをあたえ、その一つ一つのたねにそれぞれのからだをおあたえになる。 39すべてのにくが、おなにくなのではない。ひとにくがあり、けものにくがあり、とりにくがあり、さかなにくがある。 40てんぞくするからだもあれば、ぞくするからだもある。てんぞくするものの栄光えいこうは、ぞくするものの栄光えいこうちがっている。 41栄光えいこうがあり、つき栄光えいこうがあり、ほし栄光えいこうがある。また、このほしとあのほしとのあいだに、栄光えいこうがある。

42死人しにん復活ふっかつも、また同様どうようである。ちるものでまかれ、ちないものによみがえり、 43いやしいものでまかれ、栄光えいこうあるものによみがえり、よわいものでまかれ、つよいものによみがえり、 44にくのからだでまかれ、れいのからだによみがえるのである。にくのからだがあるのだから、れいのからだもあるわけである。 45聖書せいしょに「最初さいしょひとアダムはきたものとなった」といてあるとおりである。しかし最後さいごのアダムはいのちあたえるれいとなった。 46最初さいしょにあったのは、れいのものではなくにくのものであって、そののちれいのものがるのである。 47だい一のひとからつちぞくし、だい二のひとてんからる。 48このつちぞくするひとに、つちぞくしている人々ひとびとひとしく、このてんぞくするひとに、てんぞくしている人々ひとびとひとしいのである。 49すなわち、わたしたちは、つちぞくしているかたちをとっているのと同様どうように、またてんぞくしているかたちをとるであろう。

50兄弟きょうだいたちよ。わたしはこのことっておく。にくとはかみくにぐことができないし、ちるものはちないものをぐことがない。 51ここで、あなたがたに奥義おくぎげよう。わたしたちすべては、ねむつづけるのではない。おわりのラッパのひびきとともに、またたくあいだに、一瞬いっしゅんにしてえられる。 52というのは、ラッパがひびいて、死人しにんちないものによみがえらされ、わたしたちはえられるのである。 53なぜなら、このちるものはかならちないものを、このぬものはかならなないものをることになるからである。 54このちるものがちないものを、このぬものがなないものをるとき、聖書せいしょいてある言葉ことば成就じょうじゅするのである。
55勝利しょうりにのまれてしまった。
よ、おまえの勝利しょうりは、どこにあるのか。
よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。
56のとげはつみである。つみちから律法りっぽうである。 57しかし感謝かんしゃすべきことには、かみはわたしたちのしゅイエス・キリストによって、わたしたちに勝利しょうりたまわったのである。 58だから、あいする兄弟きょうだいたちよ。かたってうごかされず、いつもぜんりょくそそいでしゅのわざにはげみなさい。しゅにあっては、あなたがたの労苦ろうくがむだになることはないと、あなたがたはっているからである。

第一六章

1聖徒せいとたちへの献金けんきんについては、わたしはガラテヤのしょ教会きょうかいめいじておいたが、あなたがたもそのとおりにしなさい。 2しゅうはじめのごとに、あなたがたはそれぞれ、いくらでも収入しゅうにゅうおうじてもとにたくわえておき、わたしがいたときになってはじめてあつめることのないようにしなさい。 3わたしが到着とうちゃくしたら、あなたがたがえらんだ人々ひとびと手紙てがみをつけ、あなたがたのおくものたせて、エルサレムにおくすことにしよう。 4もしわたしもほうがよければ、一緒いっしょくことになろう。 5わたしは、マケドニヤを通過つうかしてから、あなたがたのところにくことになろう。マケドニヤは通過つうかするだけだが、 6あなたがたのところでは、たぶん滞在たいざいするようになり、あるいはふゆごすかもれない。そうなれば、わたしがどこへくにしても、あなたがたにおくってもらえるだろう。 7わたしはいま、あなたがたにたびのついでにうことはこのまない。もししゅのおゆるしがあれば、しばらくあなたがたのところ滞在たいざいしたいとのぞんでいる。 8しかし五旬節ごじゅんせつまでは、エペソに滞在たいざいするつもりだ。というのは、有力ゆうりょくはたらきのもんがわたしのためにおおきくひらかれているし、 9また敵対てきたいするものおおいからである。

10もしテモテがいたら、あなたがたのところ不安ふあんなしにごせるようにしてあげてほしい。かれはわたしと同様どうように、しゅのごようにあたっているのだから。 11だれもかれかろんじてはいけない。そして、わたしのところるように、どうかかれやすらかにおくしてほしい。わたしはかれ兄弟きょうだいたちと一緒いっしょるのをっている。 12兄弟きょうだいアポロについては、兄弟きょうだいたちと一緒いっしょにあなたがたのところくように、たびたびすすめてみた。しかしかれには、いま意志いしは、まったくない。適当てきとう機会きかいがあれば、くだろう。

13をさましていなさい。信仰しんこうちなさい。おとこらしく、つよくあってほしい。 14いっさいのことを、あいをもっておこないなさい。

15兄弟きょうだいたちよ。あなたがたにすすめる。あなたがたがっているように、ステパナのいえはアカヤの初穂はつほであって、かれらはをもって聖徒せいと奉仕ほうししてくれた。 16どうか、このような人々ひとびとと、またすべてかれらとともはたらともろうする人々ひとびととに、したがってほしい。 17わたしは、ステパナとポルトナトとアカイコとがきてくれたのをよろこんでいる。かれらはあなたがたのりないところたし、 18わたしのこころとあなたがたのこころとを、やすらかにしてくれた。こうした人々ひとびとは、おもんじなければならない。

19アジヤのしょ教会きょうかいから、あなたがたによろしく。アクラとプリスカとそのいえ教会きょうかいから、しゅにあってこころからよろしく。 20すべての兄弟きょうだいたちから、よろしく。あなたがたもたがいに、きよい接吻せっぷんをもってあいさつをかわしなさい。

21ここでパウロが、ずからあいさつをしるす。 22もししゅあいさないものがあれば、のろわれよ。マラナ・タ(われらのしゅよ、きたりませ)。 23しゅイエスのめぐみが、あなたがたとともにあるように。 24わたしのあいが、キリスト・イエスにあって、あなたがた一同いちどうともにあるように。